4日の西日本新聞朝刊「春秋」欄に載ってた話題なので、
読んだかたも多いと思う。

高知県南国市後免(ごめん)町が、その名前にちなんで
毎年募集する、いろんな「ごめんなさい」。
昨年暮れに本になったそう。

そのタイトルが、「言えなかったごめんなさい」(竹書房)
で、49歳の男性からの「ごめんなさい」が紹介されていた。

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<父が入院し、母が土方仕事で生活を支えていた時、わたしは中学生>・・・
<ある日の土産は寿司だった。
工事終了祝いの食べ残しと知り、そんなもの食えるか、と畳にぶちまけた。
「ごめんね。」
母は私にあやまり、寂しそうに後片付けをした。(中略)
・・・母さんの苦労が身にしみる歳になりました。
「本当にごめんなさい。」>

これを読んだ時、最初は
「バカモ〜ン!なんてことするんだ!」と思ったし、
「お母さんも、なんで謝るんだよ〜。
私だったら、『ぶちまけたの拾って食べなさい。それができないなら、当分ご飯は作ってあげません。』くらい言うんじゃないかな?」
と、思った。

でも、考えてみると、きっとそれは単なるワガママや甘えではなかったのかもなあ、と。
多感な中学生の男の子の、積もっていた、やり場のない寂しさだったのかなあと思えてきた。
おかあさんの「ごめんね。」も、その一件のことについての「ごめんね。」ではなかったのだろうな、と思えてきた。

ちょっと切ないキモチ。

わたしが、「ごめんね」と一番言いたいひとは、やっぱり、母だなあ。


イツマデモ、世話ノヤケル、心配カケル娘デ、ゴメンネ。
お母さん。
2007.01.05 Fri l 心に響くコトバたち l COM(0) l top ▲
もう一週間前のことになってしまったけど、日曜に、
初めて 博多の寺社町のお寺めぐりをした。

承天寺の枯山水の庭「洗濤庭」はダイナミックな構成で
なかなかの見応え。
(写真が撮れなかったのは残念。)
裏にも池のある庭があり・・・
博多にもこんな庭をもつお寺があったのだなあと意外に思った。

一番印象に残ったのは 日本最古の禅寺・聖福寺かいわい。
kodati

お茶の発祥の地らしく、敷地にはお茶の木がたくさん。
かわいらしい白いツバキに似た花が咲いていた。
石や瓦を混ぜこんだ土塀「博多塀」も味わい深い。
博多塀

木立の中、抹茶とおまんじゅうをいただいてひと息。
ああ こんなに心落ち着くひとときを過ごすのは
どれくらいぶりだろう。

聖福寺の周囲の路地を散策・・・
榎やニレの大木がたくさんあり 静かで、別天地のよう。
「心洗われる」とは こういうことを言うのだなあと思った。
路地

私の生活は ここ三年ほどで 大きく変化した。
その前は 庭つくりの仕事をしていたり
ここで こんなふうに 寺社めぐりをしていたりする自分は
ちっとも想像がつかなかった。

presentという言葉が「今・現在」という意味も持つのは、
「今 こうしてあることが、神様からの贈り物だから」
だと聞いたことがある。
素敵な考え方だよなあ。
今 こうして あることに 感謝。

なんか ちょーっとセンチメンタルな気分になり・・・。
谷川俊太郎 さんの詩「生きる」を思い浮かべてみたりする。

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生きる/谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして、かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
komorebi

2006.11.19 Sun l 心に響くコトバたち l COM(4) l top ▲
今夜 寝る前に
「ママ〜。絵本読んで〜」という下の子に
「ママ忙しそうだから わたしが読んでやるね」と
おねえちゃんが二冊読んでやってました。

ところが わがままな下の子は
(と、いうか やはりママに読んでもらいたかったのでしょうね)
「ネエネエ(おねえちゃん)が あーくんのお布団の上で
読むけん、布団が暖かくなって眠れんやん〜」
などと文句をつける。
(子供ってなぜか 冷たい布団が好き・・・^^;) 

「せっかく 読んでくれたネエネエにそんなこと言うなんて!
もっと 思いやりの気持ちを持たなきゃ!」と
読むことにしたのが「ないた あかおに」。
20061012235203.jpg

20061012235249.jpg


浜田廣介の言葉つかいは 昔っぽく ていねいで、松や百合、
さるすべりなど 植物の描写まできちんとしてある。
話もちょっと6歳の子には長めだけど。
丁寧に、感情を込めて 読んでいく。

途中 印象的だったのが、演技をしようと言う青鬼に、
赤鬼が「しかし それでは 君にたいして すまないよ。」と
気にかける時、青鬼が発する言葉。

***
「なにかひとつの めぼしいことをやり遂げるには、きっと
どこかで痛い思いをしなくちゃならないさ。
誰かが犠牲にーーー身代わりになるのでなくちゃ できないさ。」 
なんとなく もの悲しげな 目つきを見せて 青鬼は、
でも、あっさりと言いました。

***

・・・もうこの時点で 青鬼は、赤鬼のもとを去る事も 考えていたのかも知れないなあ。


そして やはり 最後の場面。
青鬼の家の前の張り紙を 赤鬼が読むシーン。・・・

***

「赤鬼くん。にんげんたちとは どこまでも 仲良く
まじめに つきあって 楽しく 暮らしていってください。
ぼくは、しばらく きみには お目にかかりません。
このまま きみと つきあいを続けていけば、にんげんは、
きみを 疑うことがないとも 限りません。
うすきみわるく 思わないでも ありません。
それでは まことに つまらない。
そう考えて ぼくは これから 旅に出ることにしました。
ながい ながい 旅に なるかも しれません。
けれども、ぼくは、いつでも きみを 忘れまい。 
いつか どこかで また あえるかも しれません。
さようなら きみ。
からだを だいじに してください。
       どこまでも きみの ともだち 青鬼」 

赤鬼は だまって それを 読みました。
にども さんども 読みました。
戸に手をかけて、
顔をおしつけ、
しくしく なみだを ながして なきました。

*** 

赤鬼と一緒に わたしも なきました。

こどもたちが 赤鬼と青鬼から なにかを 学んでくれますように。  20061012235340.jpg

2006.10.12 Thu l 心に響くコトバたち l COM(0) l top ▲